ある中小企業が新たに採用した社員が、試用期間満了の当日に診断書を提出し、業務外の傷病による休業を申し出た。
社員は面接時に健康状態について詳細に説明したと主張したが、人事担当者の記録や面接時の議事録にはそのような言及が一切存在しなかった。社員は健康保険の傷病手当金の受給を希望し、「受給期間中は退職しない」と明言。
企業側は突然の申し出に戸惑いながらも、労務管理の知識不足から適切な対応を見出せず、休業を認めざるを得なかった。社員は傷病手当金の支給期間終了後、職場に復帰したが、わずか数週間で自主退職した。
退職後、企業が前職の人事担当者に連絡を取ったところ、「そちらでも同じことをやっていましたか」との驚くべき返答が返ってきた。
この発言から、該当社員が同様の手口を繰り返し、複数の企業で傷病手当金を受給しながら短期間で退職するパターンを繰り返していた可能性が浮上した。
企業側は、採用時の健康状態確認や試用期間中のモニタリングが不十分だったことを痛感し、対応の遅れが問題を複雑化させたことを認識した。
本事例の背景には、採用プロセスの不備と労務管理の甘さが潜んでいる。
まず、面接時の健康状態に関する情報開示が曖昧で、口頭のやり取りのみに頼っていたため、事実確認が困難だった。
また、試用期間中のパフォーマンス評価や健康状態のチェック体制が整っておらず、問題の早期発見ができなかった。
さらに、傷病手当金の申請プロセスについて、企業側が十分な知識を持たず、適切な対応策を講じられなかった点も課題である。
傷病手当金は、業務外の傷病で労働者が就労不能となった場合に、給与の約3分の2を最長1年6か月支給する制度だが、意図的な悪用を防ぐためには、企業側が採用時や試用期間中に明確なルールを設ける必要がある。
この事例から得られる教訓は多岐にわたる。第一に、採用時の健康状態や労働条件に関する情報は、書面や議事録で記録し、双方の合意を確認することが不可欠である。第二に、試用期間中の社員の健康状態や勤務態度を定期的にモニタリングし、必要に応じて専門家(産業医や労務士)に相談する体制を整えるべきである。第三に、前職への照会を採用プロセスの一環として取り入れることで、類似のリスクを事前に察知できる可能性が高まる。最後に、傷病手当金の不適切な利用が疑われる場合、企業は健康保険組合や弁護士と連携し、事実関係を精査した上で対応を進める必要がある。
労働紛争を未然に防ぐためには、採用から退職までのプロセスを体系的に見直し、リスク管理を強化することが求められる。本事例は、企業が採用時の情報収集、試用期間中の管理、労務知識の向上に注力することで、同様の問題を回避できることを示している。労務管理の専門性を高め、透明性のあるコミュニケーションを徹底することで、企業は労働者との信頼関係を築きつつ、紛争リスクを最小限に抑えられるだろう。
・参考
労働基準監督署:労務管理のポイント - https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/